ミラノ万博とパリオリンピックから学ぶ「SDGs万博の作り方

SDGs万博市民アクション学習会 「ミラノ万博とパリオリンピックから学ぶ「SDGs万博の作り方」 全体会
NPO地域づくり工房の傘木宏夫さんを講師に「大規模イベントと市民からの持続可能性評価」をテーマとした学習会を開催しました。
  • 日時:2024年9月11日(水)19時~21時
  • 場所:ターネンビル2階@ハイブリッド
  • 参加者:31人(一般18人、メンバー13人) (対面:一般2人、メンバー10人 オンライン:一般16人、メンバー3人)

第一部 話題提供「大規模イベントと市民からの持続可能性評価」

講師 傘木 宏夫さん NPO地域づくり工房 代表理事

1. 大規模イベントを持続可能なものにしていくために

日本のアセスは、事業実施段階で行われているが、EUでは、1996年のEU指令により、1999年までに戦略的環境アセスメント(持続可能性評価)を各国が実施することとなり、そうした流れの中で、ロンドンオリンピックにおいても持続可能性アセスメントが行われた。アセスでは、「科学的調査」と「一般の意見」の両輪で実施するので、市民参加が位置付けられている。2012年ロンドンオリンピックをきっかけに、「大規模イベントでのアセスをきちんとやろう」と気運が高まり、ロンドンオリンピックでの実施を機にISO20121が設けられた。その背景には、オリンピックへの反対運動がきっかけ。市民からの批判にこたえる仕組みとして、持続可能性評価が実施されてきた。

万博の理念は「公衆の教育」、オリンピックは「平和な世界の実現に貢献」を目標とあるが実態は、文化やスポーツの商業主義的な利用、グローバリゼーションの補助的推進機構、政治的プロパガンダとして利用されている。それゆえに「理念と実態の乖離が激しい」と市民から厳しい批判を受けてきた。それらの経緯から、運営の見直しが必要になった。
その結果、持続可能性アセスメントの取り組みにつながり、そこでは「市民のかかわり方」そのものが評価の対象となる。市民活動の在り方やインパクトが問われる。大規模イベントが今後、存続するか解体するかは市民の関与に関わっている。

2. 自治体関与のイベント

自治体がイベント誘致に強く関与するケースも多い。しかし、合意形成の不十分さ、失敗の責任、財源、騒音など社会的配慮、終了後の総括が不十分であることが多い。経済効果の試算や点検は、市民主催のイベントでも環境配慮が必要だが、自治体主催となるとさらに必要だ。ISO20121が大きなきっかけとなり、環境省が自治体イベントに対する「プレミアム基準」を設け、自治体にチェックするよう提案している。評価システムの構築、住民参加による評価、地域内再投資*が、今後の課題となると考える。
*地域内再投資…地域経済理論。地域でできたものを地域で再投資。再エネを自治体電力とし、地域活性化につなげる。地域の中で資源を循環、利用促進し利益を地域に還元し地域ブランドを高める。

3. ISO20121 に至るまでの取り組み

ロンドンオリンピックは2012年。2015年以降、サスティナブル取り組みが始まる。持続可能性評価は方針、計画、実施それぞれアセスを実施。大阪万博は最後の実施の段階のみ。加えて環境だけが対象だが、福祉など多様な観点が持続可能性評価にはある。

4. ロンドンオリンピック

国連環境計画UNEPは、ロンドンオリンピックは「オリンピック史上、もっとも環境に配慮した大会」と評価。パリオリンピックのサステナビリティプランの主要テーマは、気候変動、廃棄物、生物多様性、社会的包括性、健康的な生活の5つを上げており、それぞれ具体的な目標数値を方針として示したうえでアセスを実施した。
ただし、成功事例と言われたオリンピックも、ジェントリフィケーション*の問題が起こっている。社会的な立ち退きは今は見られないが、住宅価格の高騰はまだ続いている。社会的弱者が追い出される問題は、これまでも過去のオリなどで問題になっている。
*ジェントリフィケーション…都市中枢部に再投資することにより、その空間を占有している人びとよりも、より裕福な人々が居住する空間創出か計画されること

5. 東京オリンピック 2021年

東京オリでも5つの目標が掲げられた。ロンドンオリの流れを踏襲している。
総合環境アセスメント制度を東京都は持っており、事業の実施の前、複数案の選択時からアセスを実施。戦略アセスではないが、設備ができてくる過程から、繰り返しアセスする手法。東京がそうせざるを得なかったのは、IOCからの要求があったこともある。IOCの「地域のルールに準拠すること」のルールは、ザッハの国立競技場のデザインが白紙撤回にも影響した。都市計画の高さ条例にひっかかったのに、デザインに地域のルールである法を合わせた。IOCが怒ったこともありNGに。東京オリンピックのフォローアップが続いている。東京は国際ルールにある程度合わせざるを得なかったといえる。

SDGs万博市民アクションは、東京オリでのSUSPON(スポーツの力で作るサスティナブルな未来)の動きを参考にしている。IOCに対し、東京都は「市民との対話」をSUSPONとの協働で説明している。

6. パリオリンピック 2024年

有形のレガシーとヒューマンレガシーの2つのレガシー戦略を持った。
有形のレガシーでは「史上最もサスティナブルなオリンピックへ」をビジョン都市、ロンドン大会比でCO2排出量55%減少、再生可能エネルギー使用率100%を目標とした。
ヒューマンレガシーは「新たな市場の創造」とし…。
パリオリンピックでは、五輪史上初競技場外(セーヌ川)で開会式を実施、男女同数の選手、競技会場の95%が既存または仮設などの特徴を持つ。
オリンピック反対運動についてはうねりはあったが、中核を担ったSaccageが労働者菜園の占拠に移り、広範な市民運動には発展しなかった。反対ではなく実施しるならより良いものを、と市民の関心が移り、先鋭化したことで市民が離れた。

7. 愛知万博

環境に配慮した初めての万博。市民との対話も配慮されていた。環境をテーマとした万博にもかかわらず、里山を住宅街開発することに市民の反発があり、「都市開発の呼び水に万博を利用している」とBIEも批判。愛知県は、調査でオオタカがいると分かっていたのに隠蔽したが、環境アセスでオオタカがいると判明。会場が変更、計画が変わればアセスはやり直しとなる。
日本のアセス法は2000年ごろの成立と、世界に比べて非常に遅れており、愛知万博以上のアセスがされたことはない。

8. ミラノ博覧会

持続可能性評価が実施された。評価書の総括は負の遺産を残すことがなかった。環境担当を、決定権を持つWトップの一人に置いたことが大きかった。
負の評価は、環境配慮の取り組みがイベント後につながらなった。関係者との連携が不十分で反対運動が過熱したことが挙げられる。

9. ドバイ博

イスラエル・ボイコット運動が国際的にあり、「UAEの独裁体制で、戦争犯罪や人権侵害を隠すために巨額の投資を行っている」と万博に合わせて声明が出された。

10. 大阪万博1970

大阪総評は「大国主義の万博反対」安保闘争の矛先をそらすカモフラージュ」とし、万博内の労働者を組織化した。当時万博の直前、天六のガス爆発など、そこらじゅうで事故が起きており、協会に労働者の安全などを要求した。

11. 90年花博・大阪オリンピック誘致

花博では、作業所が使っていた市民農園を一方的に廃止。京橋公園のコムズガーデンへ商業施設化。天王寺公園有料化などがなされた。
オリンピック誘致では、靭公園のテニススタジアム建設、八幡屋公園の屋上公園化、長居公園のスタジアム増設など、緑地をつぶしていった。公園が無駄なスペースという思想はこの当時から。
イギリスの公園の多くはパーク(里山的な環境)でもガーデン(手入れされた公園)でもなく、コモンと名付けられている。日本国内ではパークらしいのは奈良公園くらいしかないと欧州の研究者は指摘しているが、イギリスではコモンは、共有地として管理され、半分は森のまま残されているコモンも多い。

12. 万博は変わるのか

ドイツのエムシャーパークでの博覧会は、10年間開催。環境再生を「動態展示」する地域再生プロジェクト。この手法は「ルネッサンス」になりうると宇沢弘文氏も評価した。
ミラノ万博では市民団体NO EXPOから「私たちの未来と教育に役立つ、とボランティア活動を求められている。万博のための無償労働、不安定な労働はいらない」と声明が出版されている。
日本外国人記者クラブでジュールズ・ボイコフ氏は2014年「オリンピック反対運動からスポーツの非オリンピック化へ」とし、「オリンピックが近代スポーツを代表するわけではない。そうふるまうことで、肥大化した地位に上り詰めた」と話している。

13. 私たちSDGs万博市民アクションのレガシーは?

  1. 万博への抗議・提言・働きかけを記録、市民活動の存在を後世に明示
  2. 市民活動の成果を確保、育てていく
  3. 「博覧会」そのもののあり方への問いかけ、提言の発信、世界との交流 万博にどのように市民が関与したのか、次世代への説明責任を果たしていきたい。

質疑応答

参加者

愛知万博で市民委員をやっていた。素晴らしかったのは、オオタカの営巣を配慮して、会場を2つに分けたこと。トヨタ財団幹部などが聞き入れた。日立三菱トヨタが入り主導。瀬戸会場は里山遊歩道で里山を客に歩かせた。池も保全。自然保護団体のブースも多かった。かいしょの森も自由に入れたが、大阪万博は入れない。

参加者
愛知万博で立ち上がった市民団体から大阪に引き継ぐ取り組みが始まっている。愛知万博は市民が多く関わっていたとよくわかったが、受け皿の大阪側としては唐突な話で、人も集まらない。1970万博は子供も参加し、開催1年以上前から、タイムカプセルを埋めたりするイベントを学校単位で子供が万博に参加する構図があった。

オリンピック反対の話から。万博反対だけでなく、何を伝えるべきと考えるか。

運営側への市民参加が功を奏し、市民の先鋭的な反対が少なくなり、運営しやすくなっている。万博自体が変わろうとする努力が必要と考える。あえて続ける必要はあるのか、様々な選択肢を示す、オリパラのような盛り上げがあるイベントではない。お祭り騒ぎであり、議論があったと伝えていくことも必要ではと考える。